は じ め に

貿易に携わる人間と言っても、もともと中国には全く関心がなく、むしろ極端な毛沢東思想、文革と言った話に反発し、あまり相手にしたくない国だと思ってました。当然中国語なんぞニイハオ、シエシエ、ツアイチェン位しか知らない私が、会社の都合で中国と仕事の関係を持たざるを得なくなったのは1986年でした。

以来、仕事で行ったり来たり、少し離れた期間も有りましたが、90年代は北京上海に駐在すると言う経験をしました。右往左往だったところから、少し分かってきたところもあるかなあ、と感じ始めたのがその駐在時代でした。

一方、未だ未だ情報、報道管理が激しく、訳が分からぬことが多く、仕事も生活も不満一杯の中国でしたが、日本で流行はじめたインターネットを一部で使えるようになってきたと聞き、無謀にも北京のメールアドレスを取ったのが1996年末だったか。あっちへ行って、こっちへ行って、あれ出せ、これ出せ、あーだこーだ。結局北京電話局で公式速度14.4Kbsの「@public3.btn.net.cn」アドレスを取るのに半年かかりました。未だ中国全部で数千人しか居ないという時でした。
(電話局のHPアドレスはhttp://www.bta.net.cn。これも進歩したものです。)

当時未だ未だ日本でもインターネットは未だ始まりの時代、ましてや中国駐在の日本人で個人でネットをいじった人はほとんどいなかったなあ。マシンは日本で調達し、勉強の為の参考本は現地の日本人向け本屋で注文調達。先達も居ないので全部自前悪戦苦闘。苦労しました。

更に、1997年に上海に移動。北京のアドレスは使用できず、新たに全部取り直し。ほんの少しでも時代が進んだせいか、手続きはかえって厳格で、中国人の身元保証人を立てろとか書類だらけで煩かったなあ。

時代もそろそろインターネット。会社でも、社内ネットが作られたりしたので、それでは社員用でデータベース構築の模範を示すとホームページを開設したのです。が、気がついたら誰も書き込みなどしやしない。システムの持ち腐れ。ならば、と自分で書き込みをしていって気がついたらかなりの溜まったのでした。
社内HPは外から見えませんし、仕事と関係ないと昨年削除されてしまいました。しかし自分のコピーを見直してみるとなかなか面白いので、古い話でも(★)下界に曝してみるかと思い立ったのが先月です。

ケイタイでも読めることを考えてますので、あまり凝ったことはしてません。

気が向いたら、思い出した話を順次新しく書き込もうかと思います(☆)。

改造

☆2002年10月18日
早速、改造しフレーム分けにしました。少し見やすくなったかと思いますが、カウンターは85まで行っていたのにリセットしてしまいました。一方、携帯で見るためにはスタートページをwww.tsuji3.com/index1.htmにする必要があります。index.htmのままではフレームなので見えないのです。

☆2003年3月31日
久しぶりにいじって、目次の構造を変更しました。今までのは長すぎて見にくかったので、チラッとJAVAを使って小項目が折りたたまれている構造にしました。他にonMouseOverで直ぐ開いたり閉じたりする構造にしてみたのですが、反応が良すぎて逆にこんがらかるので、コンサバな方法にしました。

☆2003年7-9月
背景変更、スタイル利用、掲示板作成、など追加しました。


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