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古代国家「商」は商売の国?

紀元前16世紀〜11世紀に掛けて存在したのが中国古代王朝「商」、別名「殷」。
この王朝の「商」と商売、商社の「商」の字はどんな関係があるかご存知ですか? まさか商人が集まって出来た王国とは思っていないでしょうな?

元々は「商」の字には「あきない」の意味はありません。この字は乱暴に説明すれば「高台の上にある家(見るからに構えが高台で上の立つ部分が家?)に住む人(「商」の下部の口が人を示す)」であり、転じて「高貴な人達。王家。」を示した字だとか。

商は紀元前11世紀に周王朝によって滅ぼされるが、後年の中国のように「先代王朝の係累一族郎党皆殺し」の目には合わず、ある小さな地域に土地を与えられ一応昔の王家としての名目だけは立ててもらったとか。
ところが遺民たちにはもやは何の権力も無い、誰も貢ぎ物は持ってこない、生産手段も持たない........あっという間に家計逼迫。仕方無しに彼らは、商王家の遺品などを持って諸国を回り、「これは商王家に代々伝わる、有りがたーい逸品です。是非とも家宝になされませ......ところで何だが、ちょっと米は、絹は余っていませんかな? ウオッホッホッホッ。」 とかなんとか言いながら、生計を営む事しか出来なかった。
その内彼らもだんだん賢くなり、遺産の食いつぶしだけでなく、各地の品物を、必要とする所に移動することによって生計を営む様になった。
そこで、この種の行為を 「商の人のなりわい」 = 「商業」 と言うようになったといわれる。

(注:「商」は、別名「殷」王朝とも呼ばれるが、これは次の周王朝がつけた呼び名で「商」が自分たちが名乗った本来の名前だそうです。)

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