海 底 遊 歩 人

初めに


1972年沖縄復帰の直後の夏、大阪天保山桟橋から船に乗って沖縄に渡り、その後石垣島、竹富島、与那国島を三週間ほど旅行しました。
その時、船の中で会った学生ダイバー三人組に聞いた話、竹富島に滞在している間毎日見た海の様子、テーブル珊瑚の上を歩いていると寄って来た熱帯魚の群れ...これらが、私が海に魅せられたきっかけでした。
とは言え実は全くと言って良いほど泳げなかった為、その後はせいぜいで海辺で波と戯れる程度の事しかしませんでした。
しかし、20年後の1993年、名古屋にいた頃、会社の若い人の一部にダイビングが流行りだし、「泳げなくても二泊三日でライセンスが貰えるよ」と誘われたのです。
急に昔の記憶がよみがえり、「やりたい」と思いたったのですが、基本的に危険なスポーツと聞いていたので、家の近くの自前でダイビングプールがあるスキューバプロショップでいろいろ話を聞き、プールでしっかり学ぶのが一番良いと分かったので、そこでライセンスを取ろうと決めたのでした。

しかし、それは大変な「数ヶ月」でした。

そのお店「グロット」の教育方針は、一般ダイバーが二泊三日でライセンスを取ったお気楽な話と比べれば、完全な体育会系でした。私が既に中年で、泳ぎもうまくないこともあったと思いますが、徹底的に中性浮力、スキダイブ、マスククリア、機材脱着等等を鍛えられ、毎週末練習に行ってもなかなか海での練習許可が下りませんでした。でもその結果、最初の海、大瀬崎、の練習で一本目11メートル、二本目23メートル、二日目一本目15メートル、二本目25メートルでしたが全く不安もなくほぼ完璧にこなすことが出来ました。
しかし、最後の「ウエットスーツとウエイトだけつけて10メートル潜り、ウエイトを外して浮上し、直ぐまた潜ってウエイト付けて帰って来る」試験にパスできず、ライセンスはお預け。
仕方ないのでプールで試験となったので、「5メートルならラッキー」と思ったら、「5メートルだから10回連続」と言うことで、更に練習のしなおし、試験繰り返しで数週間かかってしまいました。

そんなこんなでやっとこ取ったSEA(スキューバプロ エデュケーショナル アソシエーション)オープンウオーターのライセンスでしたが、その後一回だけ伊勢志摩でFUNDIVEしただけで、翌94年「中国駐在」を命じられ、中断の憂き目に会っってしまったのです。

さて帰国後、再開と思って東京のSEAを探したら、なんと驚き、SEAは教育団体を止めてしまったと。(儲からないから?)一方、名古屋のショップもマスターは既に亡くなられ、店も人手に渡ったとの事。手がかりがなくなって、うろうろ。暫くやってませんでしたが、やりたい気持ちは高まるばかり。
先日、やっとプールが有って指導がしっかりしているところが見つかり、再開を決意。
プール練習四回やって、機材をそろえ海に再デビューとなりました。

これはそんな私の日記みたいなものです。

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