海 底 遊 歩 人

2003年11月22-24日(17〜20本)
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二泊三日で沖縄に行ってきました。

三連休初日11月22日土曜朝7時50分羽田集合。東京組13人。全日空123便、11時半ごろ沖縄那覇空港着。
しかし、事前の予想では晴で27度くらいあるはずがなんとなく薄暗く温度も低い。
とにかく早速那覇空港でソーキソバをかっこんでいっぷく。
13時空港内郵便局前に集合して、一路MMCのバスで本部へ移動。高速使って2時間半も。そんなに遠いとは知らなかった。

3時過ぎに現地についてどたばた準備、やっと潜った一本目は4時半ごろでした。
しかし、本土も大寒波襲来の荒れ模様のその時、沖縄も影響色濃く、海も沖は荒れ模様で、渡嘉敷組も船が渡れず、全国エグザスから沖縄に来た全員50人くらいが全てMMCでビーチと言うえらいことになっていました。
ビーチは比較的波は凪いでいましたが、それとなくうねりがあり、海岸沿いはかなりにごっていました。従って浅場の写真はマリンスノー状態が激しい。(またまた言い訳)


エントリーの場所はかの有名な本部半島はゴリラチョップの海岸(「かの有名な」とはショップの人に言われて始めて知りました。確かに似てるが知らんかったのね、私は。)


今回は某女性の海洋実習付き添いということで、浅場のトレーニングだけ。お魚もあきらめていたのですが、4-5メートルくらいの深度になると、透視度も5-7メートルほどで まあまあの状況になり、そこそこお魚も見ることが出来ほっとしました。

今回はイントラさん一人に初心者二人(某女性と名古屋いりなか店の近藤君)、それに付き添い一人の豪華布陣。

一本目、新人お二人はマスククリアだ、レギクリアの練習。私はそこらをうろうろしてるだけ。
ただ深度2-3メートルで川崎のプールよりも浅く、ぎりぎり5キロのウエイトにしていた私は中性が上手く取れず、着底すらままならず。後半は石を拾って腹に差し込む始末。も一つ浅場の問題は、ウニだらけな事。何処に着底したらいいのかわからんくらいいるのでした。
でもって5時頃終わって上がってみると、雨が降り出す始末。寒い寒い。

取り敢えず無事終了した二人は、ちょっぴり疲れたふうでしたが、初体験のあれこれを語りながら、みんな纏めて夜の大宴会に突入。沖縄料理の居酒屋貸切の大宴会。何故か私のテーブルは、右は名古屋関係者、左は関西人と、どちらも極めてローカルな話題で盛り上がりました。

二日目は少しはましな天候。しかし、天気予報は一日快晴だったのに....気温の低さは相変わらずで、今日中に3本やってしまおうという強行軍の最中に少し冷え気味が辛いところ。私の様に、冷え気味でも良い人は何とかなるが一般的には辛い様子。
課題はオクトパスブリージング、緊急アセント訓練、コンパスナビ、魚の餌付け(?)などなど。

ナビでは海底のうねりの中でコンパスばっかり凝視して緊張していたせいか、生徒は若干酔って辛かった様子。
とは言え二人とも何とか全科目クリアし、四本目はお魚目当てのファンダイブで大喜び。
夜は再び大宴会。我々と同じ月曜に帰る人が多いので、明日は潜らないぞとみんな飲むこと飲むこと。
私にとってこの日の宴会のトピックは「50本記念ダイブの女性」。66歳で始めて6年かかって50ダイブとか。すっごーい。

さて、今回の主人公はこの人「イントラの有紀ちゃん」。
AQUA-VOICE113号の「ブリッとスタッフ登場!!」にも出ている芳紀xx歳。この写真では思いっきりはじけてますが、元気で、可愛いくて、熱心で、口も大きいが、目も大きい、足もヒジョーに長い、海蛇模様の水着の紐が可愛い現代っ子(この言葉自身逆に私が古いなあと思ってしまう)。

しかし細身の割りに意外な体力持ち。イントラ家業では当たり前かもしれないが、タンク2本かついてで、階段の上がり降り、バテた生徒二人を引っ張って岸まで泳ぐなど。感心しました。

当方、付き添いといっても、自分のことを処理するだけで精一杯のため、付いて回るだけで、浮きそうになった人のフィンをつかんで引き戻したり、BCの空気を後ろから抜いたりした程度でほとんどお手伝いすることはできず、まことに申し分けありませんでした。

実は有紀ちゃん二日目の朝飯を抜いた(睡眠に当てた)為、お魚の餌付けに使った「ソーセージが食べたくてたまらなかった」そうで、途中でナマコの踊り食い(?)を披露してました。

有紀ちゃん。また一緒に潜りましょう。というか教えてください。

後、静岡店の笹山イントラも色々気遣いありがとう。


追伸:

私にとっては31年前、(ヤマトンチュの言葉で)沖縄復帰の年にヤマトから船で二日がかりで行ってから、初めての沖縄訪問です。B52が、黒い怪鳥 超音速偵察機ロッキードSR-71が嘉手納基地からベトナムに飛んでいくのを眺め、泡盛を飲みすぎてのた打ち回り、更に石垣、竹富、与那国と船で移動し、民宿を渡り歩いたあの日。

その後、海洋博が有ったり、高速道路が出来たり、最近はモノレールまで出来たりで大変な変わりようであるとは聞いてましたが、実際国際通りもビルだらけで大発展と感じました。
しかし、当時も同じであったが、町の色合いは「何か中国を思わせるカラリング」を改めて感じました。

でも、海は少々さびしかった。31年前は潜ったわけではないけれど、浜から、船から色とりどりの珊瑚が豊富に見えた記憶があるのに、今回見たのは海底に散らばる白い珊瑚の残骸。回復しつつあるとは言え寂しいものがありました。


海底遊歩人写真館
ここか有紀ちゃんの写真をクリックすれば繋がるようにリンク張りました
  

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